日時:6月2日(土) 15時~18時(予定)
場所:喫茶室ルノアール 新宿南口甲州街道店
題:「雨花」(4月22日に『今日の未言(診断メーカー)』にて決定です)
参加方法:4月21日までに、Twitterにて奈月遥(@you_natskey)までご連絡ください
懇談会:歌会の後には懇談会を予定しています。
時間:18時頃開始予定
お店:お肉バル「CARNE RICO KATETE」
こちらは、歌会の中で「雨花」について参加者で語り、分かってきた特徴です。
*雨花について*
・相反するものを同時に内包する矛盾を孕んだアンビバレンスすぎる未言。
・聴覚と視覚イメージを同一に持っている。目で見ると音を、音を聴くと形を、自然と思い浮かべてしまう。雨花自身がどちらも補完してくる。
・例えば家の中で雨花を聴いたとしても、脳内イメージで咲いている。
・生じるのと壊れるのが全く同時。雨の雫が地面に当たって壊れる時に生まれている。
・一瞬で生まれて壊れる、その連続性を表現している。
・明るいイメージと暗いイメージを内包して、人によってどちらを採用するか変わって面白い。雫に反射する光の明るさと、雨雲に翳る暗がり。
・すごい具体的なのに、めちゃくちゃ概念的という矛盾がある。
・雨花は実際に見ると結構光っていて視界に入ってきて目につく。なのに意識されない。その意識されないことの美しさ、儚さがある。
・すぐに消える儚さもある。一瞬だけの儚さ。花火のような儚さ。「花」「雨」どちらも儚さを感じる漢字になっている。
・「モモ」に出てくる「時間の花」を思い出す。時計の振り子の下で、振り子が振れる度に咲いては枯れ、枯れては咲き、咲く度にもっと綺麗になる花。
・雨花が生まれた時にイメージされたのは、蓮の池に降る雨の波紋。あんなにも綺麗に咲いた蓮が、どこにもなく、けれどまた次の夏には咲くのを知っている。そこに咲いたひとときの花。
・また、蓮の花が咲いた時にそばにいてくれた人が今はいない。その中で雨に暮れる世界に一人いる寂しさも、生まれる時に想像されたイメージ。
・もし、「あめはな」という読みだとしたら「雨」に寄っていた。「あまばな」であるから紅花など「花」に寄った印象を受ける。
・「あまばな」「うか」と二つの音を持っているのは短歌的につよい。どこでも使える。
・「あまばな」はより植物・花っぽく、色付いた印象がある。「うか」は雨っぽく、透明な印象がある。
・雨花を実際に見ると、柔らかでなだらかな印象を受けた。雨花という未言がなければ、意識して見ることはなかったと思う。
・「ミルククラウン」など、滴を注目する芸術はあるけど、でも「雨花」は雫一つではなくて連続していて、無数の雨の一つ一つに着眼点を置いたのがすごい。
・派手さはなく、風景に自然にすっと入り込んでいる未言。
・未言初心者にも取り組みやすい未言である。直感的にすっとわかる。
・ただし、論理的に考えるとドツボにはまる。
・無機物さと有機物さを持つ「現象」を未言にしている。よく考えると、とても不思議な未言なのだけど、とてもわかりやすい未言。